母が最期に見た景色。福岡タワーとドーム球場。
母が亡くなりました。
明日が72歳の誕生日という日でした。
親より早死にしない限りみんな経験することだし、母を失う心情は古来より文才のある多くの人が優れた筆致で綴っていることなので、あえて僕が何か書くことではないのかもしれないと思いつつ、さりとてやはり人生にただ一回のユニークな出来事であり、思うところは書き付けておきたいと思いました。
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複雑な劣等感を抱え、天邪鬼で、付き合いの難しいところもあって、理想的な母親とは言えない人だったかもしれませんが、僕を産んだ人であり、育てた人であり、いつも僕を気にかけてくれてた人であり、また僕が常に気をかけてきた人でもあり、その人がこの世界からいなくなるという喪失感は重いものがあります。葬儀を終え、初七日を終えても、身の回りのほんの些細なことにつけていちいちあの日あの時の母の様子が思い出され、手が止まってしまいます。
特に病気の診断がついてから息を引き取るまでの3年9ヶ月は、不治の病だということもあり、自分の感情を自分で面倒見ることができず、周りに不満を撒き散らし、いっそう扱いの難しい人になっていました。経験もしたことないのにおいそれと「分かります」とは言えないですが、そうなるのも無理からぬことだとは思います。人生が終わるのですから。
それでもあの人が何を考えていたのか。決して恵まれているとはいえない境遇に生まれ、幼い頃から弟たちの世話や家事に明け暮れ、早くに働きはじめて職場で知り合った父と結婚し、多くの月日を子育てや祖父祖母の世話に追われた人生の中で何を思っていたのか、最期に「よかった」と思って旅立つことができたのか、考えても詮無きこととはいえやはり母の人生を思わずにはいられません。
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葬儀でお経を上げてくれた浄土真宗の導師は、死を認識するのは人間だけだと話されていました。もしかしたら大型類人猿も認識しているのかもしれませんが、大まかに言ってそのとおりなのでしょう。
宇宙に散らばった原子はやがて星を形成し、星の上では複雑な分子が形成され、そこから有機物が生まれ、生物が生まれる。生物は進化の過程で神経系を発達させ、脳という器官を生み出しました。そして地球という惑星の上での生物の生存競争の果てに、ヒトという生物は「意識」を持つようになりました。「意識」とはなんなのか今ひとつよく分かりませんが、とにもかくにも自分という存在が生きているという自覚を持つようになったのです。
僕らの意識、精神の働きは脳や体を構成する原子、分子の構造やその中を行き交う電気の刺激に還元できるのか、それら原子、分子の足し算だけでは説明できないものなのか。説明できないという人は、そこに霊魂の存在を見るのでしょう。
母は亡くなりました。
しかし僕は、そこに霊魂の存在を見出さない、科学を尊ぶ種類の人間です。母の体は病に冒され、生きている人としての有機的で動的な生命活動を維持できなくなり、意識は薄れ、やがて身体の代謝も停止したのだと理解しました。
ただ、無に帰ったのだと考えています。
お経を上げてくれた導師は「みんな御仏になって」とか仰っていたし、家族や親戚も母は先に亡くなった祖父母や叔父たちとやっと一緒になれるでしょう、という話をしています。そう考えた方が救いがあるかもしれません。「意識」を持つようになった人間は、あまりにも不可思議・奇妙な世界、特に死という現象、言い換えれば「意識」の停止という現象に押し潰されないために神とか来世とかの概念を導入し、宗教を必要とするのだと思うのです。
母は亡くなりました。
しかし母の記憶は僕の中に確かに残っています。母と関わった人々の中に、あるいは母のことを聞いた人、見た人の中にも、記憶として残っています。そして記憶というものも、その仕組みはまだ完全に解明されていないにしても、僕らの脳の中に蓄積された細胞や分子や電気信号の繋がりであることは間違い無いと思います。その意味では、母の存在は多くの人々の記憶として、すなわち多くの人々の脳の中の構造として生きていると言えるでしょう。生命活動を行う実体としての母の肉体は終わりを迎え、その意識は失われてしまいましたが。
「人は二度死ぬ。一度目は肉体的な死。二度目はすべての人がその人の存在を忘却した時。」と言います。僕の母は肉体的には死を迎えましたが、僕が生きている限り、二度目の死は来ないのです。
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祖父、祖母が亡くなり、母の弟たち、すなわち僕の叔父たちも亡くなり、この理不尽な「死」という現象に向き合うことを少しづつ理解し、いつか来ることが分かっていた母の死にも向き合おうと思っていたのですが、やはり実際に迎えると寂しいものです。ややもすると理性が勝ち過ぎるきらいがあり、「死」というものを科学的、合理主義的な視点で見る僕でさえも、母がいなくなることで感情は掻き乱されます。何を見ても、何もやっても母の影がちらつき、手が止まります。母が息を引き取った日の夜は、母のそばを離れ難く、ずっとその顔を見つめていました。
しかしそしてまた、こうして母が亡くなるという経験を経て、やがてくる僕自身の「死」についても準備が進むような気もしています。
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この度の母の逝去にあたり、あたたかいお悔やみ、励ましの言葉をいただいた方々に心から感謝申し上げます。ありがとうございました。正直たいへんでしたが、そして今もたいへんではありますが、僕は元気です。
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